毎年ゴールデンウィークにさいたまスーパーアリーナで開催される、埼玉史上最大のロックフェス「VIVA LA ROCK」。日程ごとにラインナップのテーマを掲げたり、「埼玉」ならではの取り組みにチャレンジしたりと、他の音楽フェスにはないユニークなコンテンツ作りによって、常に注目を浴びてきました。

記念すべき第5回目となる「VIVA LA ROCK 2018」は2018年5月3日(木)〜5月5日(土)の3日間にわたり開催されます。また、5月6日(日)には大森靖子とピエール中野がプレゼンターを務め、欅坂46や道重さゆみ、BiSHなどが出演するアイドルが中心となった新フェス「VIVA LA ROCK EXTRA 『ビバラポップ!』」の開催も決定し、これまで以上に充実した内容の4日間となります。

"音楽フェス飽和状態"といわれて数年。「VIVA LA ROCK」はどのようにして他のフェスとの差別化を図り、オリジナリティを獲得してきたのでしょうか。音楽雑誌『MUSICA』などを通じて、邦楽ロックのジャーナリズムをリードしてきた仕掛け人、鹿野 淳氏に語ってもらいました。

僕が思うフェスの理念というのは、スケジュールと会場が90パーセント、後の10パーセントはブッキングですかね?

──「VIVA LA ROCK」は今年5周年を迎えます。そもそも、どんな経緯でスタートしたのでしょうか。

「VIVA LA ROCK」を始める前に、「ROCKS TOKYO」というフェスのオーガナイザーを3年間やっていました。それは結果が出ていたにも関わらず、馬鹿馬鹿しくも悔しい経緯があって2012年に開催を取りやめたのですが、その時に学んだんです。フェスはいろいろな仕組みで作られているじゃないですか? ざっくりいうと、複数の企業が集まりやっていくパターンとか、1社が全てのリスクを請け負うパターンとか。自分の場合、フェスに関わるとなると、ブッキングをほぼすべて今までは担当してきたので、そのフェスのリスクをシェアするのではなく、自分がある程度ガシッと追わないとダメなんだなって思って。その覚悟とチャンスが生まれるまではフェスはやらないと決めたのですが、いきなりその機会が訪れてしまい(笑)。自社FACTとディスクガレージの2社で「VIVA LA ROCK」を立ち上げたというのが大まかな経緯です。

──どのような条件だったのですか?

初回から確か4億5000万円くらいの制作費がかかる見込みだったんです。今はもっと全然お金がかかってますけどね。で、そのうちの半分、つまり2億2500万円をうちでリスクを負うわけです。でも、ご覧のようにFACTって、エレベーターも付いていないような建物の一室で経営している会社なんですよ(笑)。そんなうちの会社が2億2500万円ものキャッシュフローなど持っているはずもなく、「リスクを負う」と言いつつ失敗したら夜逃げするしかない状況だったわけです。そんな最初っから背水の陣で臨んだのがこのビバラと呼ばれるフェスなのですが、めでたく5回目まで来れまして。今年がこのフェスにとって重要な階段の踊り場だと思うんです。だからこれからのフェス、2020年代のフェスがどうあるべきかも踏まえて、今年は様々なチャレンジをします。

──会場をさいたまスーパーアリーナにしたのは?

「音蹴杯」という、音楽業界のフットサル大会があるんですね。年に1度、さいたまスーパーアリーナでお客さんを入れずにフットサルを楽しむというもので、その大会の主催がさいたまスーパーアリーナとディスクガレージで、僕もその大会にチームを出してまして。「ここで音楽フェスをやったら楽しいだろうに、何故やらないんだろう」という、前述した2社からの甘い誘いに乗った感じです。ただ、当時からもう、日本のフェスは飽和状態で、勝負をかけるならゴールデンウィークしかないなとも確信していました。フェスの成功は、日程と会場が90パーセント、後の10パーセントをブッキングに身を任せるという理念を僕は持っているんですけど、それほど「現場」が大事だと思っています。もっとブッキングが重要なんじゃないのか?と思う方もいると思いますが、ブッキング、つまりフェスがアーティストに依存し過ぎてしまうと、結果的にアーティストにフェスがもたらせるものが少なくなってしまうのです。なものでいつかラッキーなことにスーパーアリーナのゴールデンウィークが空いたら一緒にやりましょうという話をしていたのですが、くしくも会場から「ゴールデンウィークに入っていた別件が急遽空きまして」と連絡が来たんです(笑)。その時点ですでに開催まで残り9カ月を切っていたのですが、ここで開催したら翌年以降も、同じ日程をこのフェスのために確保しておくともおっしゃったので「もうやるしかない!」と。このチャンスを逃したら次はないと思ったので、怒涛(どとう)の勢いで準備しましたね。

──「VIVA LA ROCK」ならではの特徴は?

去年から日割り別の出演アーティストに対する考え方を改めました。基本的に、1日で26アーティストが出演してくださるんですけど、日程ごとに音楽の指向性が近い人たちに集まってもらうことにしたんです。それによって、3日間の色合いがそれぞれ違うフェスにしようと。今年もそれを踏襲しています。例えば初日は、割とコアな音楽マニアの方々も楽しめるニューウェイヴな感覚を持ったアーティストに集まってもらいました。2日目は、2010年代初頭~中盤のロックシーンおよびフェスシーンから勢いを増してきたバンドが多いです。この5年間の邦楽ロックシーンの中核を担って来た人たちですね。最終日は、2000年代以降、「AIR JAM 2000」という極めて重要なパンクフェスがありましたが、それ以降の日本パンクシーンを転がし続けてきた偉大なバンドが中心となっています。そういった区分けを楽しんでいただけたらと思います。

──なぜ、そのような区分けをしたのですか?

うーん。例えばですね、2000年代後半くらいまでのサマーソニックは、「サマソニに行けば、今聴くべき洋楽が何なのかが手に取るようにわかる」と言われていて、それって素晴らしい役割だと僕は思っていたんです。つまりどんな洋楽メディアよりもサマソニは明確な洋楽メディアだったわけですから。ビバラは邦楽のロックフェスですが、邦楽ロックシーンの中でそういう役割を担うようなフェスになれればうれしいなとは思っています、そもそも自分はメディア人なのでね。2010年代に入って、洋楽のみならず音楽を自分から積極的に発掘するという機会やメディアが減っていき、そういうリスナーも減っている現象があると感じていたんです。昨今寄り戻しも含め、そういうリスナーや、そんなリスナーを満足させるスキルを持った音楽が増えてきてはいますけどね。その中で1日フェスに参加すると、自分が目的にして来たアーティストと割と近い存在の音楽で、でも知らなかったという音楽やアーティストを確実に見つけられるフェスにしたかったんです。フェスという現場で、楽しく遊びながら新しい音楽が見つけられる場所にしたかったんです。

──なるほど。

ただその結果、好きなアクトのタイムテーブルが被りまくってしまい、「自分が好きなバンドが集まっているのはいいけど、見たいアクトを全部見られないじゃないか!」というお叱りも現実的に多数受けてます(苦笑)。そこは確かに申し訳ないと思いつつ、しばらくはこのやり方でのフェスとしての確かな落とし所を模索していきたいです。とにかくフェスは音楽を楽しむ場所だけではなく探す場所でもあり、フェスが終わった後からフェスで見つけた音楽との日常でのお付き合いが始まるきっかけの場所であることを、1人でも多くの方々に知ってもらいたいんです。

埼玉の人たちに認めてもらい、愛してもらえるフェスにしたいという気持ちから始まっています

──「埼玉」という場所へのこだわりは?

私たちが「VIVA LA ROCK」で何をやっているのか、何を目指しているのか、会場の近隣の人たちに分かっていただきたくて、けやき広場に入場料フリーの「VIVA LA GARDEN」を設けています。ふらっと遊びに来れば半日楽しめる場所として、ビアガーデン、キッズランド、各ワークショップ、フットサル場、そして30以上のフェス飯などを完備しています。また、2015年より「埼玉県限定超先行チケット」をはじめました。埼玉県に在住している人のみ申し込みが可能で、今年もこれを実施しています。全ては埼玉の人たちに認めてもらい、愛してもらえるフェス、埼玉とロックのマーケットに揺さぶりをかけたいという気持ちから始まっています。

──実際にその成果を実感したエピソードはありましたか?

去年、お子さんを抱いている埼玉在住の女性の方から声をかけられました。「VIVA LA ROCK」の初年度に参加し、その年にお子さんを授かったので、しばらく育児のため参加できなかったそうなのですが、「今年は子供と一緒に会場に入ってみようかと思います」と言われ、あれは本当にうれしくて。他にも例えば、「『VIVA LA ROCK』の帰りにお付き合いが始まり、めでたく結婚した」という埼玉の方もいて。そういう奇跡がこの4年間の誰かの中にあったんだな、そういう参加者に恵まれたこのフェスは幸せ者だなと思いました。もう今まででビバラは埼玉県とロックファンからたくさんのものをもらって来ました。だからこそこの記念すべき5回目の開催からは、「ようやくこのフェスもここまで育ちました。さあ、今まで世話になった分、休む暇もないほど楽しませて発見させますよ」というフェスになりたいです。まずは今年、その第一歩を踏みます。

──2018年は「VIVA LA ROCK」の5周年に加え、「TAICOCLUB」の終了、「RISING SUN ROCK FESTIVAL」が20周年など日本のフェスシーンの節目の年のように思えますが、今のフェスシーンをどのように捉えていますか?

10年ほど前の話になるのですが、確か2007年頃、PARCOが夏のセールで「夏フェス」という言葉を使っていたんですね。フェスがファッション業界の書き入れ時のコピーになって成立するくらい浸透したことを当時、とても驚き、そして感慨深い思いがあったんですね。そこから10年経ったいま、日本ではさらにフェスが乱立状態になりました。が、そのせいで運営がうまくいっていないか?というと、決してそんなことはない。ちゃんと採算が取れて回っているところがほとんどだと思うんです。この10年間って、「フェスブーム、今年が頂点で、来年から終わり始めるだろう」と毎年言われながら、いまだ右肩上がりな状態でもある10年間なんですよね。

──確かにそうですね。

と同時に、フェスが日本の音楽シーンに「貢献」できているかどうかについて、向かい合ってきた10年間でもあったと思うんです。結果的に音楽マーケットやシーンは、「フェス頼み」な部分も抱えているわけですから。そんな中で今、あえて総括するなら、フェスが音楽シーンと音楽業界を維持してきた部分も、それと同時に歯止めをかけてきた部分も多分にあると思います。だから、これからもフェスが主導権を握っていくならば、音楽シーンのあり方というものをフェスがもっとプロデュースしなければいけないし、もっと明確に新しい音楽の種を蒔かなければいけない。それを2020年までに見せていかないと、東京オリンピックが終わった後で、フェスの必要性も、そして音楽のあり方も悪い意味でも変わってしまうかもしれないと思っています。今は日本のお祭りに音楽は欠かせないことをフェスは示していますが、その状態が変わることだってあるわけですから。

──東京オリンピックが開催される2020年が、本当の節目だと。

はい。その辺り、つまり2020年代にも音楽フェスが、まだ必要とされているかどうか。それはこれから2年間のフェスのあり方によって決まるのではないかと思っています。ひょっとしたらある種のフェスが淘汰されるかもしれない。そこで「淘汰されない側」でいるためには、どうあるべきかを「VIVA LA ROCK」は考えなければならないと思っています。今年から「ビバラポップ!」という新しい兄弟フェスを開催しますが、それも今お話をしたことへの新しいきっかけになればという想いで始めようと思っています。

鹿野 淳(しかの あつし)
1964年東京生まれ。2010年に東京初の総合フェス「ROCKS TOKYO」のプロデューサーを務め、2014年に「VIVA LA ROCK」を立ち上げるなどイベントプロデュースを手がける。また、これまで音楽専門誌『BUZZ』、邦楽月刊誌『ROCKIN'ON JAPAN』、ライフスタイルマガジン月刊『STARsoccer』の編集長を務める。2007年に月刊音楽専門誌『MUSICA』を創刊させ、新たな音楽メディア・フィールドを開始している。

Text:黒田隆憲
Photo:黒田隆憲 / VIVA LA ROCK

VIVA LA ROCK 2018

日程:
2018/5/3(木) - 5/5(土)
場所:
埼玉 さいたまスーパーアリーナ